しんどい時の気分転換 ー 禅を知って落ち着きのある生活を!

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自分は昔から細かいことを気にしてしまい、
いつもネガティブなことを考えてウジウジしていました。
学校でウマが合わない人がいて、廊下ですれ違うだけで嫌なのに、
何かのグループが一緒になった時に、思ってもないことを言ってしまって、
しばらく引きずる、みたいなことが多かったです。

大人になるにつれて、そういった感情を殺すことで、
社会に適合し、日々を過ごしていますが、
今度は明るい感情まで出にくくなり、何かを失ってしまった虚しさがあります。

そんな時に図書館でたまたま目についたのが、「禅」の本でした。
その本をさらっと見た感じでは、心を落ち着かせて、
自分を見つめ直しましょう、といったことが書かれていて、
ただ、感情を殺すのではなく、自分の心をコントロールするのが大事かもしれないと
思ったのを覚えています。

色んな感情で忙しない未成年の頃に出会えていたら、
もっと色んな人と仲良くできたり、仲良くできない人がいても
自分のやりたいことに集中できたりしたのではないかと思うのです。
(まぁ色々な経験をして、傷ついたりする多感な時期も大事な経験だとも思いますが)

そこで今回は改めて「禅」とはどのようなものか振り返ってみようと思います。

■禅とは

禅とは辞書には「精神を統一して真理を徹見する」と書かれていて、
サンスクリット語の言葉の訳だそうです。
他のサイトでも調べてみると、「静かに考えること」や、
「精神統一して悟り目指す姿勢」などと書かれていて、様々な解釈があります。
ただ、どれも無心になり、雑念を振り払うことに重きを置いています。

禅は仏教の一派である禅宗の教えで、達磨という人が開祖です。
日本史に出てくる曹洞宗や臨済宗も禅宗です。
7世紀に日本に伝わった禅の思想ですが、
欧州でも注目される思想となっています。
スティーブ・ジョブズも禅に深く傾倒していたと言われています。

ジョブズと禅については以下のサイトがよくまとめられていました。

スティーブ・ジョブズと禅—世界が注目する禅の実践効果
「禅」が見直されている。東洋のミステリアスなものといった文化的な憧れではなく、その実際的効果に人々は気づき始めた。スティーブ・ジョブズを切り口にして、禅、瞑想、マインドフルネスの「いま」をシリーズで伝えていく。

■目指すところ

禅に書かれた書物の中でも「悟り」という言葉が出てくるものと出てこないものがありますが、
私にとっては悟りと言われた方がイメージしやすかったです。

悟りについても文字で表すのは難しい言葉ですが、
迷いや雑念をなくし、物事の真理を知ること、とざっくりまとめられなくないです。
ただ、多くの人はそこまでの状態を目指しているわけではなく、
日々の雑念をはらうことで、自分を見つめ直し、生への活力を見出しているように思えます。

海外での広がり方を見ても、禅センターで実際に座禅を経験し、
そこにおられる老師の姿を見て、その姿を見習うところからスタートしています。

禅宗の老師については

しなやかに立ち直る力や活力、率直さ、単純さ、謙虚さ、穏やかさ、快活さ、尋常ではない洞察力、
底知れぬ思いやりといった人生の質という観点からすれば類稀なものです。

「禅マインド ビギナーズ・マインド」 鈴木俊隆(藤田一照:訳)

と「禅マインド ビギナーズ・マインド」では書かれています。
こちら海外でも広く読まれている禅の入門書です。

こうした老師の姿を見習い、自分の生活に禅の思想を取り込んでいくことで、
より良い生き方を見出していくのが、現代に生きる人にとっても非常に有効だと思われます。

■修行は何をしているのか

実際には修行僧にとっては、生活そのものが修行のようですが、
一番分かりやすいのが修行の一つが「座禅」です。

座禅体験などもあるので、実際に経験したことがある人もいるのではないでしょうか。
私も中学生の時に学校のイベントで経験したことがあります。
周りに友達がいたために集中するまでに時間がかかりましたが、
しばらくすると何も気にならなくなり、
何とも不思議な感覚だったと記憶しています。

座禅では「不二不一」という教えを体現する姿勢でのぞみます。
この教えは体と心は一つでもないし、二つに分かれているわけでもない、
ということです。

座禅の姿勢については以下のサイトを参考にさせていただきました。

坐禅の作法 | 坐禅のすすめ | 曹洞宗 北信越管区教化センター
坐禅の作法 坐禅...

この姿勢に加え、呼吸も大事になります。
座禅している間はただただ呼吸をするのみであり、
自身が独立した存在でありながらも、すべてのものに依存しています。
それだけ言われると面食らってしまいますが、
その経験をすることが禅の絶対的自由を獲得するために必要なことです。

■終わりに

普通の日常を生きている私たちが
「禅」の考え方に触れることで、生きる上で取り込める部分があるのではないかと思います。

物事がうまくいかない時の悔しさや、
何かしなければいけないのに何もできていない時のもどかしさは
行き場がなかったりします。
そんな時に自分を振り返って、心を落ち着かせられたら
次の一歩がスムーズに踏み出せるのではないでしょうか。

禅が何かを調べようとすると、
難しい仏教用語が出てきて、結局何なのかが分からなくなったりし他ので、
少しでも分かりやすく書けていたら幸いです。

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