辛い時に
何でこんなに頑張っているんだろう、
であったり、
何で頑張らなきゃいけないんだろう、
などと考えることがあります。
そもそも生きる意味って何かあったっけ?となり、
結局頭が混乱して迷宮入りするのを繰り返しています。
そこで周りの本当に仲の良い友達に、
「何か生きてることに目的ある?生きる意味って何だと思う?」と聞いてみました。
(客観的にやばいやつなのは重々承知してます)
すると、
・大好きな人たちと楽しく過ごすこと
・特にない。考えること自体がナンセンス
・生きる目的を探すこと自体が生きる目的
などの意見が出てきました。
その後、友達からとても心配されて説明が大変だったのはさておき、
生きる目的や人生の価値はずっと自分の中で大きな引っ掛かりだったので、
今回は調べたり、友達の意見をさらに聞きながら書いてみます。
調べていると、「生きる目的は・・・だ」とか、
「そんな事を考える必要はなく・・・だ」みたいな決めつけるような記事が多いのが気になりました。
自分はあんまりあくまで色んな意見を取り上げる形で書きたいと思います。
■検索したらどのような意見があるか
調べてみると本当にたくさんの検索がヒットしました。
宗教的なサイトも結構ありますね。
例えば仏教だと、特に生きる意味はないけれど、
生まれ変わりの輪廻から脱却して涅槃を目指すのが大事と説かれています。
参考↓
キリスト教だとあまり明確な答えには辿り着けなかったのですが、
いくつかサイトを見ている限り、そもそも人間は神様に生かされている存在であり、
正しく人生をまっとうして救済される事を目的としているようです。
どの宗教も超常的な存在が絡んでいて、
個人が考えてどうこう、という話にはなっていないですね。
一方、科学的な観点もありました。
理系の新書で有名なブルーバックスのオンライン上プラットフォームでも1つの記事が見つかりました。
生物はたまたま生きるようになったわけで、そもそも生命活動自体が目的なのだ。
つまり生きるために生きている、という事が書かれていて、面白いと思いました。
確かに生物レベルで考えると、生物が生きる目的なんてものはないような気がします。
そんな事考えるのは人間くらいだと思いますし、
生きる目的を考えるより、明日や1年後、10年後、
生きていくために何をするべきかを考える方が、よっぽど有意義ですね。
それでも人間は考えることができて、自ら命をたつこともできるような状況になっているわけです。
そうなると人間なりの生きる目的を見つけられた方が
生きやすくなるような気がしてしまいます。
また、私はそれを考える行為そのものが尊く感じてしまったりもします。
■友達の意見の深掘り
人生は大好きな人たちと楽しく過ごすためのもの
これに共感する方は多いのではないでしょうか。
人生という言葉を聞くと、
両親や親友、愛する配偶者と子供など、大切な人と楽しい時を過ごせるように
日常生活を過ごして、苦しいことにも耐える姿がイメージできます。
これは幸せを感じるため、にも繋がりそうです。
大切な人と過ごす、だけでなく、自分の趣味に没頭したり、
夢を叶えるために生涯を捧げる方もいます。
しんどいことも多い人生の中で、自分を支えてくれるものこそ、
生きる糧なので、それこそ生きる意味と言えるのだと思います。
そんな大層な事でなくても、日々の些細なことに幸せを感じていて、
生を実感しているという人もいます。
美味しい食事をとること、気の済むまで睡眠をとること、
これさえできれば満足という生き方も立派な生き方ですよね。
特にない。考えること自体がナンセンス
生きる目的を探すこと自体が生きる目的
この2つも確かにそうだ、と思います。
生きる目的なんて考えることはない、何で考える必要があるの?
ただ、メンタルが落ち込んで生きるのが辛いから、そんなこと考えるんじゃないの?
という意見もたくさん聞きました。
確かに答えがあるわけではないので、考えること自体不毛なのかもしれません。
目の前の事を全力で頑張り、辛いものを乗り越えた先で、
勝手に納得のいく答えが待っていたり、
このために生きてきたんだと思える瞬間がきたら良いですよね。
そもそも何事も楽しめる性格の人もいるようです。
全てを楽しめる人からしたら、人生はボーナスステージのようなもので
できるだけ楽しんだもんがちなだけで、
ボーナスステージがある意味を求めることはないんだそうです。
これを言われたときは確かに、と納得してしまいました。
■所感
・幸せを感じるため
ー大切な人と過ごす
ーやりたい事を楽しむ
ー夢を叶える
・生きる意味はない。
ー誰も答えを持っているわけではない
ー自分なりの答えを探す事自体に意味がある
ー生きることは苦しみでしかない
・周りの人と支え合うため(人間社会を支えるため)
ー両親が与えてくれた命をまっとうするのは義務
ー周りの人を悲しませないため
ー人間社会に貢献するため
・安らかな死後を迎えるため
ー人類は神のために生き、安らかな死後を迎える
ー輪廻から抜け出すため
今回調べたり、話を聞いたりしたものをざっくりまとめてみました。
もっと別の意見があったら教えていただけると嬉しいです。
暗い話になるかもですが、生きる意味というのは、なぜ生きなければいけないのか、
にも繋がってくると思います。
辛い時に死んだ方が楽なのではないか、と考えてしまったり、
無気力な時に全てが煩わしくなってしまったり、
毎年一定数の自殺者がいる根本には、このようなテーマがある気がします。
ここまで読んでくださった人がどれだけいるか分からないので、
正直な気持ちを書きづらいところもありますが、私は生きる意味は特にないと思っています。
良い意味でも悪い意味でも死んだらそこで全てが終わりだとすると、
寿命をまっとうしても、今死んでも自分にとっては変わりないです。
もちろん自分が死んだら悲しんでくれる人がいるのだと思います。
悲しませたくはないし、そういった存在を大切にしてその人たちを幸せにしてあげたい、
だからすぐに自分から死のうとは思いませんが、
そういった感情がしがらみのように感じてしまう時もあります。
自分が悲しませないように頑張っていても、事故や病気で死んでしまうこともあります。
大切な存在を失った時の喪失感は何にも変えがたいのは、自分もわかる部分があります。
ただ、それを人生の試練として乗り越えていくしかない、と思って乗り越えてきました。
試練を乗り越えて強くなった気もしますし、人生に弾みがついた部分もあります。
もちろん何事もなく、安らかに過ごし、みんなが寿命をまっとうできればそれが幸せだと思います。
一方で激動な人生もありますが、どちらの人生でも優劣はありません。
自分が死んだことの影響すら他人の人生の出来事として色がつくのでは?と考えてしまいます。
想いを赤裸々に書いてしまいましたが、自殺を肯定したいわけではありません。
そういう事を考えてしまうのが自分だけでなく、他の人もいるとしたら
一緒に向き合えたら嬉しいのと、あまりこういった事を人に話すことはないので、
どこかに吐き出したかったという自己満足もあります。
過激な事を書いているかもなので、不快な気持ちにさせてしまっていたら本当に申し訳ないです。
もし共感くださる方がいたら、辛い時も多いと思いますが、
同い想いを抱えている人もいる、と思って少しでも気が楽になっていただけたらと思います。
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